次の世代に渡せるものを
今回は、在宅被災者の話などジャーナリスティックな問題も語られました。
壊れていてもなんとか自宅で生活できる被災者は支援から漏れている。阪神・淡路大震災でも、10年たってようやく顕在化した問題だそうです。被災した当人としても、「(まだ家がある)私なんて(ましだ)」と遠慮があるんですね。
悔しかったのが、震災で障害を持つようになった人たちのお話を聞けなかったこと。いくらお願いしてもダメでした。国から何の補償も得ていないんです。でも取材を受けると周りから叩かれるんですね。
石牟礼道子さんが水俣病を書いた頃から何も進んでいません。日本という国は、人々を分断するんですよ。
また、沿岸部の自治体のなかで唯一、岩手県洋野町(ひろのちょう)は人的被害が1件もなかった。洋野町の防災アドバイザーの方にいろいろ話を聞いているなかに、新しい防災センターのことが出てきます。避難者のプライバシー保護のために小部屋をたくさん作っているんです。
それを知らしめる前に能登半島地震が起きてしまって。するとまた体育館に仕切りもなく避難している状態になり、めちゃめちゃ悔しかった。
僕は「国境なき医師団」の取材をしているので、どこの難民キャンプに行ってもすぐテントが配られ、プライバシーが保たれているのを知っています。それが世界標準です。東日本大震災から13年たっても、その用意をしていなかったことに怒りを感じました。
次のテーマとして考えているのは、「顧みられない震災」です。東日本大震災の時も、直後に長野県北部で震災がありましたが、大きくは報道されなかった。そういう災害の被災者のモノローグに取り組みたいんです。
21年に子どもが生まれ、子育てをしながら書いたのが『東北モノローグ』です。妻に相談して可能な限りで取材、執筆のスケジュールを組みました。そのなかでこのような本を残せたのは誇りですし、これからも次の世代に渡せるものを書いていきたいと思っています。