「篠田桃紅作品館」代表の松木志遊宇さん(撮影:大河内禎)
書の域にとらわれず、独自の表現を拓いた故・篠田桃紅さん。その研ぎ澄まされた感性や生き方に、多くの人が魅了されてきました。ファンであった松木志遊宇さんが、篠田さんと交流するようになったのは40年ほど前のこと。
数十年かけて集めた100点を超えるコレクションは松木さんの自宅に併設された作品館で観ることができます。「私の人生の宝物」という親交の日々を、松木さんが振り返りました。(構成:小西恵美子 撮影:大河内 禎)

「生き方の師」になってくださった

15歳のときに見た雑誌のグラビアで、着物姿の女性が太い筆を手に、大きな作品に挑んでいました。書の世界を出て墨を用いた絵の仕事を始め、アメリカで活動の場を広げて帰国したと紹介されていて、「すごいなこの方は」と衝撃を受けました。

私は幼いころから書と絵が好きで、特に書道は大人に交じってプロの先生から学んでいました。本当は美術の教師になりたかったけれど、当時は働き口がみつかりませんでしたから、新潟の県立高等学校で国語と書道の教諭の職に就きます。

ずっと絵を引きずっていたので、かつてグラビアで見た「篠田桃紅」という人の、書から絵に転向した生き方にますます関心と興味が向きました。

ちょうどそのころ、篠田桃紅作品展が地元・新潟のデパートで開催されたので見に行きました。作品を間近で見たのはこのときがはじめて。今までに触れたことのない墨色と線の動き。書でもなく絵でもない、その世界にすっかり参ってしまったのです。

和の画材を用い、伝統を踏まえながらも、世界の人に通じる新しい抽象表現を切り拓いている。モダンさを感じました。

●篠田桃紅(美術家)(しのだ・とうこう)

1913年中国・大連に生まれる。5歳から父に書の手ほどきを受ける。47年ころから抽象的な水墨画を描くように。当時、抽象表現主義が盛んだったアメリカで、いち早く評価を受けた。現在、作品はクレラー・ミュラー美術館、グッゲンハイム美術館、メトロポリタン美術館など国内外数十ヵ所の美術館、また、アメリカ議会図書館や京都迎賓館、皇居のお食堂など二十数ヵ所の公共施設に収蔵される。エッセイの名手としても知られ、『一〇三歳になってわかったこと』はベストセラーに。2021年、107歳で死去。松木さんが所有する55点の作品を収録した画文集『私の体がなくなっても私の作品は生き続ける』(講談社)が発売中