以来、熱心なファンとして作品を見続けてきましたが、新潟県高等学校教育研究会の企画運営に携わっていた1985年、憧れの篠田桃紅先生を講師としてお招きしよう、と思い立ちました。
最初は依頼を断られました。その理由は、「壇上(人の上)に立ち、お話をすることは、私の生き方に反します」。「では先生を囲み、みんなで語り合う形でお願いします」と再度手紙を書きました。
どうしても諦められず、何度かお手紙をやり取りし、ようやく引き受けていただいたときは万感の思いでした。先生は72歳、私は42歳。ここから交流が始まりました。