そういえば、とあたしも考えた。

父が好きでよく見ていた時代劇も、主人公は、かっこいいとは言えない、恰幅のいい初老の男たちが多かった。彼らが正しくて強い主人公をつとめるのが、正統派の時代劇だった。めくるめくような恋愛なんてのは基本なくて、男同士のマウンティングに話が終始していたのは、お茶の間の原則もあったろうし、日本文化が江戸の昔から、女の目で見たいい男、対等のセックスというのを封印してきたからかもしれない。

「そうなのよ、中国ドラマを見始めてから、日本にはすてきな男があまりいないというのにガクゼンとしたのよね。中国ドラマはみんな背が高くてハンサムなのよね。

いい男を見て、いいなと思い、いいなと言う――これまでできなかったことに、死ぬ間際の年になって(いやいやまだまだなんですけど、とあたしは言った)今やっと気がついて、こうして溺れているわけなのです」

彼女の発言に、いやはやすごい、フェミニズム的にも女の一生としても奥義を究めてるなとあたしは感じ入り、Wikipediaで大河ドラマを検索して、二人で、歴代の男たちを査定してみた。

中村錦之助、平幹二朗、尾上何々、高橋何々、だめ、だめ、だめ、だめ、と彼女は吐き捨てるように否定して、「背が小さいのよね、貧弱か太り過ぎかどっちかなのよね」と言うから、「いや、それはそれでいい味がある……」と、背の高くない男にも太り過ぎの男にも貧相な男にも寄り添った経験のあるあたしは言ったが、「しょせんフィクションのエンタメなんだから、好きなものを見たいのよね」と聞く耳を持たぬ。

「じゃ韓国ドラマは? きれいな男がたくさん出てくるってみんなハマってるでしょ」とあたしが聞くと、

「韓国の歴史ドラマはねえ、男がみんな同じ帽子被ってて、みんなひげがあって似たような服着てるから、よくわからないのよね」と女友達はのたまいました。