夫と子どものために病気と闘おう

私はもうダメなんだな──告知の瞬間にそう思いました。ところが次の瞬間、でも、人生に悔いはない、と思い直したんです。私は14歳で東京に出てきて、好きな仕事を思う存分やってきました。これ以上望むことなんて何もないじゃないか、と。

この日、告知を受けた後、病院から仕事先に向かい普通に仕事をこなし、その後、髪の毛をカットしてもらうために美容院へ立ち寄りました。短くしたのは、抗がん剤治療で髪が抜けることを考えてのことです。

その一方で──意識と行動が矛盾しているのですが──鏡に映る自分を見つめながら、3つ目の選択肢である「緩和ケア」でいいんじゃないかなあ、と考えていました。苦しい思いはもうしたくなかった。痛みさえ取り除いてもらえれば、おいしいものを食べて、お迎えが来たら身を委ねて、静かに目を閉じて……。

車で迎えに来てくれた夫は、「そばにいてやれなくて、ホントにごめんな。つらかったろうに、1人でよくがんばったな」と言ってくれました。私はなぜか一粒も涙が出なかった。それよりも夫と話し合っておかなくてはいけないことがありました。それは、子どもたちにどう伝えるか。

主治医から「この病気は手術の後が大変で、家族のサポートが必要です。お子さんの年齢を考えると、お話ししたほうがいい」とアドバイスをいただいていました。私と夫の意見も「ありのままをきちんと伝える」ことで一致。

私たちには、28歳を筆頭に16歳まで7人の子どもがいます(年齢は当時)。どうせ話すなら今日中にと、夫は近くに住む息子のところへは自分で出向き、離れて暮らす子たちには電話で伝えてくれました。

そして、同居している18歳の息子と16歳の娘には、夫と一緒に伝えたのです。娘は号泣し、息子は妹の様子を見て激しく動揺していました。「お母さんがかわいそうすぎる」「これまで大病に耐えてきて、リウマチの全身の痛みからも、お薬のおかげでようやく解放されたところなのに」「今度はがんだなんて」……切れ切れにこんな言葉を吐きながら、娘は泣きじゃくります。

娘の言葉を聞いて、初めて涙があふれました。この時、私はまだ生きなければならない、と気づかされたのです。闘いもせずあきらめて、「お母さんはかわいそうな人生だった」という記憶を子どもたちに残したくないとも思いました。夫と子どものために病気と闘おう、生きるためにがんばってみよう、と。この時、私は3つの選択肢のうち、取り除けるものはすべて手術で取ってしまう道を選ぶことを心の中で決めました。