完璧な家族なんてどこにも存在しない
――人は運命的に縁の濃い人にめぐり合い、心の家族になっていく――舘さんが渡さんとの関係性を重ね、じっくりと取り組んだ映画『ヤクザと家族 The Family』が公開された。舘さんが演じるのはヤクザの親分、柴咲組組長・柴咲博だ。少年期の不遇な家庭環境からグレていた、綾野剛さん演じるところの主人公・山本賢治は、柴咲から手を差し伸べられたことで居場所を見つけ、やがて二人は父子の契りを結ぶ。ヤクザという存在を家族の視点で描き、社会に一石を投じる骨太なヒューマンストーリーである。
脚本を読んで、是非やりたいと思いました。僕は常々、自分のところにその役が来るのには意味があるはずだと考えています。それでいえば今回は、きっと「舘ひろしは石原軍団を通して男の世界を熟知している」という説得力のようなものを期待されているのかな、と。
もちろん石原プロはヤクザ組織ではないけれど、縦社会であるという点において共通しています。山本に手を差し伸べる柴咲は、僕にとっての渡さんだったわけで……。男が男に惚れる瞬間とか、裏切りのない世界とか、共感できる部分がたくさんありました。
柴咲は穏やかで、みなさんが思い描くヤクザの親分とは違うかもしれません。でも真に怖い人はやたらと他者を威嚇したり、恫喝したりしない。そう考えて役作りをしていきました。
一度だけ、敵対関係にある組の頭を相手にドスをきかせて見得を切る場面があるのですが、僕は柴咲が牙をむいて本性を見せるそのシーンにかけました。そこでヤクザを見せなかったら、ただの優しいオジサンで終わっちゃうじゃない?(笑)
柴咲には家族はいないという設定です。といって、だから孤独なんだと解釈するのは短絡的だと思います。だって、家族っていいものだとは限らない。むしろいびつなのが普通じゃない? なのにファミリーカーのコマーシャルに出てくるような、完璧な家族を求めるから苦しくなるんですよ。
僕はシェル・シルヴァスタインという人の書いた『ぼくを探しに』という童話が大好きで。少し欠けた円形の「ぼく」は自分の欠けた部分を求めて旅に出るのだけれど、完璧な円になったらコロコロ転がってしまうわけで、欠けた部分があるからいいのだ、と気づくという物語。
『ヤクザと家族』という映画を通じて僕が個人的に感じ取っていただきたいのも、完璧な家族なんていないということ。なにしろ「家族って何なんだろう?」と思わずにはいられない、本作はそういう力のある作品に仕上がっていると思います。