「乱暴者・無鉄砲者」と評されて

「世の中のさがな者」とも評された隆家は、道長が最も苦手とした相手だった。「さがな者」は、漢字を当てるなら「性無者」で、規格からはずれた乱暴者・無鉄砲者というほどの意味だ。

『刀伊の入寇-平安時代、最大の対外危機』(著:関幸彦/中公新書)

兄の伊周とともに本来は中関白家の嫡流に近い立場とされた。しかし父道隆が長徳元年(995)に死去、その勢力が失速する。

隆家の兄伊周と道長の確執はよく知られており、それが朝廷内部での政治権力の帰趨に影響を与えた。

ちなみに隆家らの母は『百人一首』にも登場する高階貴子で、姉は一条天皇に入内、その寵を得た定子である。

定子に仕えた清少納言の『枕草子』にも隆家のことがしばしば登場する。隆家の規格外の行動については、いろいろとエピソードも少なくない。貴族ながら武勇の人としても知られた。