(写真提供:Photo AC)

『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマでは藤原道長と伊周の権力争いが描かれましたが、伊周の弟・隆家が花山院に矢を放った「長徳の変」をきっかけに、兄弟は力を失っていきます。しかしその隆家、実は日本を救った英雄と言われているのはご存じでしょうか? 道長の全盛期、九州へ異民族が襲来。老人・子供は殺害、壮年男女が捕虜として連れ去られて牛馬は斬食されました。特に対馬・壱岐は壊滅状態に…。突如瀕した国家の危機に対応、外敵を撃退したのが隆家だったのです。歴史学者・関幸彦先生の著書『刀伊の入寇』よりその一部を紹介します。

藤原道長と隆家

そもそも刀伊の入寇とは…

藤原道長が栄華の絶頂にあった1019年、対馬・壱岐と北九州沿岸が突如、外敵に襲われた。東アジアの秩序が揺らぐ状況下、中国東北部の女真族(刀伊)が海賊化し、朝鮮半島を経て日本に侵攻したのだ。

道長の甥で大宰府在任の藤原隆家は、有力武者を統率して奮闘。刀伊を撃退するも死傷者・拉致被害者は多数に上った。

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刀伊(女真)が来襲した寛仁の時期、京都は藤原道長の時代だった。刀伊の侵攻にさいし、大宰権帥(大宰府の次官で、実質上の長官)として迎撃の指揮をとったのは中関白家(道長の兄道隆の家系)の隆家だった。

隆家にとって叔父道長はライバルだった。年齢にして十余歳の差がある。

隆家が九州下向したのは長和3年(1014)のことだった。当時36歳(数え年。以下同)。眼病を患っており、宋人の名医の診察を受ける目的もあった。三条天皇在位中のことで、刀伊の事件はそれから5年後のことだった。