寛弘年間-道長の権力増大と兄・伊周の死

寛弘年間(1004~12)。

この時期は彰子が敦成親王(のちの後一条天皇)を産み、翌年敦良親王(のちの後朱雀天皇)が誕生、道長の権力が増大する。

一方で中関白家の伊周は道長との関係で大きく水をあけられ、寛弘7年(1010)に死去する。

翌年には一条天皇が譲位、敦成が東宮(皇太子)となった。

定子所生の敦康は東宮になれず、隆家の慨嘆は大きかった。