激戦、そして追撃へ

4月12日の酉刻(夕方6時頃)、賊徒が上陸して激戦が展開された。

この戦闘では大神守宮(おおがのもりみや)や財部弘延らの住人勢力が迎撃・合戦に及び、賊徒三、四十人を矢で射すくめて2人を生け捕りとした。また大蔵種材・藤原致孝(むねたか)・平為賢・同為忠らの兵(つわもの)が活躍して、船三十余船で追撃した。

その後、賊徒は同13日、今度は肥前国松浦(まつら)郡に出没し、沿岸の村々に侵攻した。

これを迎撃すべく前肥前介源知(さとす)らが郡内の兵士を率いて戦い、数十人を矢で倒し、捕虜1人を得たとする。そのため刀伊の賊船は侵攻もままならず退去するところとなった。

大宰府側も兵船四十余艘が追撃に臨んだという。