普通はつくられた価値観

NHKの情報バラエティ番組『あさイチ』で、「性体験がないのは恥ずかしいこと?」という特集が組まれた。そこでは、性的なことに興味が持てない、試してみたが苦痛だった、自分に恋愛や性愛は必要ないと感じた、という人たちが登場した。恋愛や性愛抜きで結婚し、子どもを持つ人もいた。その中で、性体験や恋愛体験がないことを、自分は何か欠落しているんじゃないか、普通じゃないんじゃないか、と苦しむ人たちの声が紹介されていた。

性社会と文化史の研究者は、恋愛してなんぼ、早く複数の人と性的関係を結ぶことがもてはやされ、煽られた時代があったと解説していた。それは、恋愛至上主義を煽ることで、膨大な消費を生めるという策略があったからだという。そして、その文化は、雑誌やメディアによって創り出され、半ば大衆は洗脳されたようなかたちだったという。恋愛してなんぼ、セックスしてなんぼと煽られた全盛期に自己を形成した30代後半~50代の人たちは、性体験や恋愛体験が少ないことに劣等感を覚えているのだという。

視聴者からの投書で、「30~50代前半のみなさんが雑誌を読む時代にマスコミ・とある雑誌の編集部にいました。時はまさに、バブルとバブルがはじけた直後。セックス特集を何回も編集したことを覚えています。雑誌や情報を作っていた方も、バブル景気に浮かれていたと思います。女性がセックスをたくさんしよう、セックスをいろんな人としてもいいと思い込まされた。でも行動すればするほど女性の地位は落ち、女性の身体は傷ついていくと思います。考えてみれば、それを先導していたのも、男性の編集長や管理職たち。それに踊らされていたなといま恥じています」

というものがあり、なんとも考えさせられた。

この話を聞くだけでも、いかに私たちの当たり前とされている価値観が、「作られたもの」であるかが分かる。普通なんて時代と共に変わるのに。友人にも、「別に性行為をしたかったわけではなかったけど、付き合ったらするものだと思ったから応じた」「処女は20代前半で捨てといた方がいいとみんなが言うから、早くそこら辺の人とやって捨てたい」と言う子がいた。それは、本当に自分の望みなのか、それとも、社会から思い込まされているのか、わたしたちは意外と自分でも分かっていない部分が大きいのではないか。

写真提供◎AC