議政官と公卿の違い

また、特に重要なのが、議政官という地位である。

『公卿会議―論戦する宮廷貴族たち』(著:美川圭/中公新書)

これは公卿と重なる部分もあるが、少し異なるところがあった。

これは太政官議政官会議に出席することができる立場ということで、左大臣、右大臣、内大臣、大納言(権大納言含む)、中納言(権中納言含む)、参議を指す。

つまり、三位以上であっても、名誉職的な性格の太政大臣、および摂政・関白、前官者(すでに大臣・納言・参議を辞した者)、非参議(三位以上で参議に任じられていない者)といった者は含めないのである。

道長の父である兼家の兄・兼通は安和2年(969)に正四位下のまま参議になったので、その時点で公卿となり議政官になったことになる。

兼家はその前年の安和元年に従三位となったので、すでに公卿にはなっていたが、まだ議政官に列したわけではない。兼家が議政官になるのは、安和2年、中納言になった時点ということになる。