昇殿はあくまで天皇との関係で決まっていた

さて、道長が15歳で元服し、従五位下となったのは、天元3年(980)のことである。このような初めて従五位下となることを、「叙爵(じょしゃく)」という。

そして2年後の天元5年に昇殿を認められて、殿上人(てんじょうびと)となる。

一般に五位になると殿上人となると理解されているが、実際には昇殿は天皇によって清涼殿の殿上の間に上ることを許可されることなので、位と直接の関係があるわけではなく、あくまでも天皇との関係で決まるのである。

ちなみにこのときの天皇は、円融天皇である。

さきに述べた蔵人、そして検非違使(けびいし)、摂政・関白といった平安時代になってできた令外官も、天皇との直接の関係によって任命される官職であった。その意味で、殿上人と同じような原理によって成り立っているのである。