赤染衛門という女房名を名乗り続けた理由

ならば、赤染衛門は、平兼盛という有名歌人の娘ではなく、赤染氏だということに大変誇りを持っていたのではないかと思われます。

前の女性が赤染衛門。『女房三十六歌仙図屏風』(江戸時代前期。斎宮歴史博物館蔵)より

平兼盛は光孝天皇から分かれた光孝平氏なので、家柄としては赤染氏よりよほどいいのですが、彼女は赤染という氏と、時用の娘であることにこだわっていたようです。

彼女の夫は大江匡衡といい、学問を司る氏族の大江氏で、一条朝には文章博士にもなっています。だからたとえば「中宮の博士」なんて女房名に変えることもできたのかもしれません。

しかし、赤染衛門という女房名を名乗り続けたのは、実は彼女が大のパパっ子だったからではないか、という気がするのです。

彼女は夫の匡衡ともアツアツ夫婦で知られていて、「匡衡衛門」という二つ名でも呼ばれ、いつも夫の昇進を後押ししていたといわれています。「赤染衛門」も、彼女の家族への愛情の深さを示す名前のように思えてくるのです。