境界の記号

地形図に表現される境界の記号は自治体の階層ごとに定められている。現在の階層は都道府県と市区町村の2つだが、地形図の黎明期にあたる明治の町村制施行から大正にかけては、その中間に郡をはさむ3段階であった。

例えば東京府・南足立郡・千住町のような府県―郡―町村という階層であるが、府県の境界は、明治13年(1880)に整備が始まった日本最初の地形図の「迅速測図」の「県界」という記号が初である。

『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

この時は太い破線であったが、「明治24年図式」からは現行の「都府県界」と同じ独特な1点鎖線(させん)による「府県界」が登場している。

昔からここに「道」が含まれていないのは、北海道と青森県の境界は津軽海峡で陸上の境界が存在せず、この記号を描く必要がないからだ。

明治期の次の階層が「郡界」で、これは府県界より細い2点鎖線である。市制施行から2年後の「明治24年図式」では「郡市界」となった。市の行政が郡から独立していたため同格としたのだろう。もっとも明治24年末の市の数は全国にわずか40で、792市を擁する今とは違って実に希少な存在だった。

当時の郡は自治体であったため内務官僚の郡長がおり、議決機関である「郡会」が置かれていた。郡立病院や中学校などを設立した郡もある。

しかし大正期に進められた行政改革で自治体としての郡は廃止され、現在のような道府県―市町村の2段階に改められた。それでも記号としての郡市界は廃止されていない。「明治33年図式」までは郡の権威を反映してか、郡市界のほうが町村界より線が太かったのだが、次の「明治42年図式」では同じ太さになった。

なお戦時中の昭和18年(1943)に東京府と東京市が合併して東京都となり、同22年に市とほぼ同じ機能の特別区が誕生した際、その境界に郡市界を流用することになったため、「昭和30年図式」から、記号も「郡市、都内の区界」という表現となる。それ以降、特別区役所の記号には市役所と同じ◎印が用いられてきた。

その下位の階層が1点鎖線で表される町村界だが、「明治24年図式」で登場した時は「町村及三市の区界」であった。つまり当時府知事が職務を行う「特別市」の3市、すなわち東京市15区・京都市2区・大阪市4区の境界である。

これが「明治28年図式」では「町村及区界」、「明治42年図式」では「区町村界」と表現が変わった。戦後は「町村・六大都市の区界」などを経て、「町村・指定都市の区界」(「昭和61年図式」)という表現に落ち着いていく。