野砲が通れるか―これも道路記号の目安

道路の記号は「昭和30年図式」から今に至るまで、主に幅員によって分類してきたが、それ以前は国道や府県道といった種類別であった。

このため細道であっても国道なら太く、県道は立派なものでも少し細く表現されてきたので、その点が旧版地形図を見る時には要注意である。

戦前の国道は自動車、馬車が通れない個所も珍しくなく、峠道などで荷車が通れない登山道のような区間には太い2条線の片側だけを破線とした「荷車ヲ通セサ(ざ)ル部」という表現がなされていた。

「明治42年図式」での区分は国道・県道・里道(達路)・里道(聯路(れんろ))・里道(間路)・小径の6種類で、その重要度によって記号の目立たせ方がかなり異なっていたので、地域の道路交通の概要を把握するには適切な表現であった。

<『地図記号のひみつ』より>

おおむね県道以上の道路にあっては幅員の情報が付加されていて、それぞれ「1間(けん)以上」が帯1本、「2間以上」が帯2本で表されていた。この帯は2条線を横切る形で示され、その表示場所は他の道路との交差点の手前、もしくは図の端で、これにより当該区間全体の幅員を表していた。

3種類の「里道」については自動車が少しずつ登場し始めた頃にあたる「大正6年図式」から具体的な幅員が定められている。

旧「達路」が1.5間(約2.7メートル)以上、「聯路」が1間(約1.8メートル)以上、「間路」が半間(0.9メートル)以上と改められている。後にメートル法への統一を規定した大正10年(1921)の度量衡法改正を受けて、同14年からは図式もそれぞれ3メートル以上、2メートル以上、1メートル以上に変更された。

これらの幅員はさほど厳密でなく、昭和10年(1935)に刊行された部内マニュアルである陸地測量部の『地形図図式詳解』によれば、「町村道及小径ヲ種別スルニハ、路幅ニ依ルハ勿論ナレトモ、尚道路ノ実質上ヨリ鑑識スルヲ要ス。即チ三米(メートル)道ハ野砲ヲ、二米道ハ輜重(しちょう)車〔馬が牽(ひ)くリヤカー状の荷車=引用者注〕ヲ、一米道ハ駄馬ヲ、小径ハ単独者ヲ通シ得ルヲ標準トシテ判別シ」とある。

いずれにせよ行軍への対応が優先されていたようだ。