強く生きていく決意

逆境の中で、嘉子は強く生きていこうと決意し、夫を失った自分自身にとって、また女性にとって、特に大事なのは経済的自立だと考えるようになります。

1947年3月、嘉子は司法省を訪れ、大臣官房人事課長の石田和外(後の最高裁判所長官)に対して、裁判官採用願を提出しました(司法省は法務省の前身ですが、裁判官の人事権を掌握するなど、法務省とは位置づけが異なります)。

<『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』より>

それまで、裁判官・検察官になった女性は一人もおらず、しかし実は「男性に限る」という規定が存在していたわけではありませんでした(つまり、規定はないのに、採用面などでの実態において、男性に限られていたのです)。