「サライ」、つくってよかったよな

備前焼は楽しかったね。いくつもいくつもつくっていくと、自分の技量が上がっていくのがわかる。

ただ、俺の場合、つい競争心が生まれてくるんだな。谷村君に負けたくないと思ってしまう。

「加山さん、じっくりやりましょうよ。陶芸は勝負事じゃないんだから」

そんなふうに、彼にはよくたしなめられたよ。

谷村君との「サライ」は何度も歌った。24時間テレビのエンディングはもちろんだけど、さだ君の「夏長崎から」でも谷村君と歌った。二人で肩を組んで歌うと、2万人のお客さんも肩を組んで合唱してくれてさ。ステージにいる俺たちが感動しちゃうんだ。

「サライ」、つくってよかったよな。

そんなだからさ、谷村君の早い旅立ちはつらかったな。亡くなった後、カミさんと一緒にお線香をあげに行った。遺影があって、そのなかで谷村君がにっこり笑ってんだ。

「おい、俺も後から行くからな。遅くなるかもしれないけれど、待っていてくれよな」

話しかけたよ。

あっちの世界には時間の感覚がないという説もあるだろ。だから、そんなに待たせない気もするけれどな。

 

※本稿は、『俺は100歳まで生きると決めた』(新潮社)の一部を再編集したものです。

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俺は100歳まで生きると決めた』(著:加山雄三/新潮社)

2022年末のNHK紅白歌合戦出演を最後にコンサート活動から引退した加山雄三は、ある決意をする。「俺は100歳まで生きる」と。新たな音楽活動に挑戦して本人が「攻めに転じた」という70代から愛船の火災と病に見舞われた80代、そして未来を見据えた余生まで。自身を育んだ茅ヶ崎の海や強い絆で結ばれた友たちに思いを馳せながら、永遠の若大将が語る幸福論!