紡績工場の経営で財をなした岡山の永岡家に嫁いだ小鈴は、新婚の夫に芸者の愛人がおり、女中頭との間に子どもまでもうけていたと、ハルに最初の手紙で知らせてきた。まだ女子英学塾で学んでいたハルは、怒りのあまり我を失いそうになったが、なんとか思い留まり、ほとんど断絶状態であった生家に電話をかけた。

 ところが母はハルに、ただひとこと、あの子は永岡家の人間になったのです、と冷たくいい放ち、公言せぬように、ときつく口止めまでして電話を切った。そういわれても、ハルは永岡家に乗りこんで、顔も知らぬ永岡家のぼんぼんを半殺しにするつもりでいたが、卒業に就職にとあわただしい日々に追われているうちに、思いがけない兄の事件などもあり、結局、白蓮(びゃくれん)の歌集を送るほかなにもできないまま、内地を離れることになったのだった。

 きっと詩歌に親しんできた小鈴なら、その歌集に秘められたメッセージを読みとっているだろうとハルは信じていた。白蓮が九州の炭鉱王を捨てて、貧しい記者の宮崎龍介(みやざき・りゅうすけ)のもとに走ったように、あなたも逃げなさいというシンプルなメッセージ。しかし、いままでのところ、小鈴は二十歳という年齢に似合わないくらい、世をはかなんだ手紙をハルに送り続けている。

 ハルとは違い母の期待と愛情を一身に受けた小鈴が家の犠牲になり、自分への無関心に反発してなんとか母の関心を引こうと傍若無人に振る舞ったハルが、結果的には新天地で自由な生活をはじめたことに、どこかおそろしく不条理なものを感じた。

「――お姉ちゃんを許してよ、いつか必ずあいつを殴り飛ばしてやるから」