(写真提供:Photo AC)
現在放送中のNHK大河ドラマ『光る君へ』。吉高由里子さん演じる主人公・紫式部を中心としてさまざまな人物が登場しますが、『光る君へ』の時代考証を務める倉本一宏・国際日本文化研究センター名誉教授いわく「『源氏物語』がなければ道長の栄華もなかった」とのこと。倉本先生の著書『紫式部と藤原道長』をもとに紫式部と藤原道長の生涯を辿ります。

派手で明朗闊達

藤原宣孝は長徳元年(995)に筑前守の任期を終え、その年の内には帰京しているはずである。

その後、右衛門権佐(えもんのごんのすけ)に任じられた(『権記』)。その宣孝から、長徳3年(997)が明けると、紫式部に求婚の書状が届いた。

宣孝はそれ以前から、「新年になったら(越前に安置された)唐人を見に行こう」と言っていたのであったが、越前にやっては来ないで、「(春には氷が溶けるように)あなたの心も、とざしていずに私(宣孝)にうちとけるものだと是非知らせてあげたい」と言ってきたのである。

それに対し、紫式部は、

春なれど 白嶺(しらね)のみゆき いやつもり 解くべきほどの いつとなきかな
<春にはなりましたが、こちらの白山の雪はいよいよ積って、おっしゃるように解けることなんかいつのことかしれません>

と言って送ったのであった。すでに旧年中に宣孝からの求婚はあったのであろう。

宣孝の長男隆光は、長保元年(999)に29歳となっており(『枕草子』勘物<かんもつ>)、紫式部の2年前の天禄2年(971)の生まれである。

隆光が仮に宣孝20歳の時の子とすると、宣孝はこの長徳3年にはすでに46歳となっている。

曾祖父の定方(さだかた)は右大臣にまで上り、醍醐天皇の外戚であった人で、父為輔は権中納言にまで至っている。

また、道長の嫡妻である源倫子(りんし)とも縁戚にあたる人物である。

紫式部とは又従兄妹にあたり、為時とは元同僚で、懇意の仲であったはずである。