久堅町、真砂町

<久堅町>

久堅(ひさかた)町は、はたらけどはたらけど生活(くらし)が楽にならないことでお馴染みの石川啄木の終焉の地です。

永久の町の発展を願って久堅町。町内の播磨坂は桜の名所。(写真提供:二見書房)

いまはマンションがあるこの場所で、亡くなるまでの8ヶ月間暮らしていました。

そもそも石川啄木はぢつと手を見る人程度の認識でしたので今回その生涯を調べたら、偉大なるクズ野郎でした(個人の感想です)。

妻を顧みず友人に金をたかり借金も払わずのよく言えば破天荒。もちろん、才能や作品に罪はありません。

『旧町名さがしてみました in東京』(著:102so/二見書房)

ただ、最初の上京を4ヶ月で挫折し父に迎えられ故郷に帰った境遇は共感できます。特に父に迎えられた点が。

私も大学進学時に利用した新聞奨学生という現代の蟹工船を1ヶ月で辞めた際に田舎から父が迎えに来ました。

文京区の販売所に来た父は所長に詫びた様ですがどのようなやりとりがあったか、朝2時起きで6時半まで朝刊配達し集金と拡張後昼2時から夕刊配達の日々に「いや大学いつ行くねん!」と突っ込むので精一杯な当時の私には知る由もありませんが、とにかく親は偉大です。

<真砂町>

文京シビックセンター横の春日町交差点。

昭和42年当時、この12階建の真砂アパートからはどのような景色が眺められたのか。(写真提供:二見書房)

東京ドームや講道館に行く人なら上空に浮かぶ「真砂アパート」の素敵なタイル文字を目にした経験があるはず。

昭和40年に消滅した旧町名の真砂(まさご)町を用いるこの都営住宅、外観的にも建設年は町名消滅前の相当古いに違いない。

と思いきや昭和42年でした。何と微妙に消滅後。