竹早町
<竹早町>
竹早町で「分離」といえば竹早高校と東京学芸大付属竹早中の校舎問題があります。
両校はもとは同じ府立で校長も校舎も共用していたものの、都制により都立と国立に分かれ校長も違うまったく別の学校に。
その際に敷地も校舎も国有化されたことで以後20年間都立が国立に校舎を間借りする歪な関係となります。
部活や行事に制約が掛かる屈辱の学校生活。
「独立した校舎を!」
昭和40年に生徒会長が校舎問題解決を公約に掲げ、都への請願やマスコミへの提起がやがて世論を動かします。
昭和42年に両校間の校舎分離独立協定の締結、そして昭和45年遂に竹早高校は校舎独立を果たしました。
校舎も校門も分離した両校は現在、校門が隣り合う不思議な光景を残しています。
※本稿は、『旧町名さがしてみました in東京』(二見書房)の一部を再編集したものです。
『旧町名さがしてみました in東京』(著:102so/二見書房)
かつて存在し、そして消滅した地名=旧町名の名残りをさがす異色の街歩きエッセイ!
地名は、その地を知る最大の手掛かりであり、その地の歴史、文化を反映するものです。
旧町名にまつわる歴史的・文化的エピソードを、旧町名の遺物を16年間探し求めてきた著者が撮りためてきた写真と共に紹介します。