大塚窪町、第六天町

<大塚窪町>

平成14年3月夜ふと入った古ビル1階のパン屋。なぜかお店のおばあさんにパン数点を無償でいただく。

文京区内に存在した他の大塚シリーズは大塚仲町・大塚辻町・大塚上町・大塚坂下町そして大塚町。(写真提供:二見書房)

これが東京での最初の心温まる思い出です。

しかしその古ビルがまさか同潤会大塚女子アパートだったとは。そして、そのパン屋が実は三角サンドイッチ発祥の地だったとは。

いただいたパンはもちろんバターロール。

<第六天町>

おはようございます。今日の建もの探訪は、268年そして15代つづいた「家」。

徳川慶喜終焉の地看板。大正2年まで生きた慶喜は、年代的に近所の石川啄木や永井荷風とすれ違っていた可能性があるはず。(写真提供:二見書房)

ご家族は元征夷大将軍のご主人、奥さん、奥さん、奥さんそして21人の子供たち。

さて、どんな空間が待っているんでしょうか。まずは住まいのある町から拝見します。

小日向(こひなた)台地と小石川台地に跨るこの町は第六天(だいろくてん)町、現在の文京区春日そして小日向です。

何と言っても神田上水との高低差、いいですねぇ。さっそく住まいへ。失礼します。

新坂に接した3000坪に建つ1000坪の日本家屋の面影など感じさせない国際仏教学大学院大学。文字通りありがたい。

そして何と言っても敷地横を通る丸ノ内線。

地上の地下鉄、これがまた素敵なんですけど、敷地横の鉄道開通を嫌ってこのお宅に転居した経緯とのコントラスト、味わいがありますね。わかりました。

徳川さんのお宅跡いかがでしたか。ご主人が生きた激動の時代に思いを馳せる、そんな空間でした。

次回は徳川家から100m先の松平。かつての家臣・容保(かたもり)が暮らした家です。