萬壽さん7歳、父と奈良ドリームランドにて(1962年11月)(写真提供◎萬壽さん)

「坊やちょっとこっちおいで」と……

歌舞伎の世界は一つの大きな家族のようで、だから若手は先輩を「おじさん」「お兄さん」と呼ぶことができる。(血縁のないお弟子たちは、「旦那」「若旦那」だが)

それで萬壽さんの第1の転機となるのは?

――転機って、その時はわからないものですよね。あとになって、あぁ、あの時のことが次へと大きく繋がったんだ、とわかったりする。

私の場合、23歳の時に池袋のサンシャイン劇場に出たことだと思います。

新劇場で始まった第1回の歌舞伎公演は(坂東)玉三郎・(尾上)菊五郎のお兄さんたちで、第2回が(市川)海老蔵時代の先代團十郎のお兄さん。

出し物は成田屋のお兄さんが「白浪五人男」の弁天(小僧)をなさって、去年亡くなった(市川)左團次さんが南郷(力丸)。私は赤星(十三郎)でした。

もう一つが所作ごとの『義経千本桜』「吉野山」で、海老蔵のお兄さんが狐忠信、私が静(御前)でした。その時の振り(振付)が紀尾井町の藤間家元でしたので、その二代目(尾上)松緑のおじさんが舞台稽古を見に来られて。