お洋服のまま舞台に上がって主に海老蔵のお兄さんにあれこれ注意なさるんですが、そのうち「坊やちょっとこっちおいで」って、女雛男雛の顔を見合わせるきっかけを教えてくださった。

当時は菊五郎劇団と吉右衛門劇団とが今より明確に分かれてまして、多分この時、初めておじさんにお会いしたんだと思います。

それで、なぜかその時の私の芸を気に入ってくださって、「松緑さんが梅枝を使いたいとおっしゃるんですが、いかがでしょう」と、松竹の重役から祖母に連絡があった。

うちの祖母(三代目時蔵夫人=小川ひなさん)は歌舞伎界のゴッドマザーと言われた、芸のよくわかる人で、それまでちょっと紀尾井町のおじさんとはわだかまりがあったんですが、「それじゃあよろしく」となり、それから道が開けた気がします。

松緑のおじさんの秋の明治座公演に呼ばれ、初代辰之助(三代目松緑)のお兄さんの『赤西蠣太(あかにしかきた)』の相手役小江(ささえ)の役に抜擢されました。それがご縁で菊五郎のお兄さんとも、今もずっと相手役をつとめさせていただいてます。

二代目松緑のおじさんは人を集めて振る舞うのがお好きだったんで、初日と楽の晩は紀尾井町のおうちに集まって、それがとても楽しかったし、また大いに芸の勉強にもなりましたから、これは第1の転機ですね。

後編につづく