演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第30回は歌舞伎役者の中村萬壽さん。五代目中村時蔵として歩んだ43年を振り返るとともに、三代襲名への思いを伺った。
とにかく深い教え方
第2の転機は、大成駒(六代目中村歌右衛門)との出会いではないだろうか。何かのお祝いの席で、お家にはご養子の女形さんもおいでなのに、時蔵さんに『手習子』を踊るよう、指名なさったと聞く。
――そうなんですよ(笑)。そこへ話が繋がるわけなんだけど、まず私が38の時に、国立劇場小劇場で『鏡山旧錦絵』をやることになって、私に中老尾上の役が来ました。国立側が歌右衛門のおじさんに監修を願い出たら、「私は監修はいやだよ」とおっしゃった。
でも私はどうしても尾上の役はおじさんに習いたいと思って、(世田谷区)岡本町のお宅へ伺って「初役なのでどうか教えてください」ってお願いしたら、じっと考えて「あんただけ見てもねぇ。じゃあもう、みんな見てあげるよ」って、結局、監修をお引き受けになった。今の(中村)雀右衛門が召使お初で、今の又五郎が局岩藤でした。
その昔、私が八重垣姫や時姫を教わった時は身体の使い方とかかなり初歩的なことだったんですが、この時はもっと芝居面でのダメ出しで、難しかった。しかし言われた通り、よく考えて一所懸命やりました。
そしたら急にある時、「お前さん、麻雀できるのかい?」って言われて(笑)。それからはよくお宅へ呼ばれ、ご飯を一緒に食べたりなんかして、すごく親しくさせていただくようになりました。