歌舞伎座の楽屋でコーヒーを飲む親子3人。左から長男・六代目時蔵さん、萬壽さん、次男・萬太郎さん(2024年5月。写真提供◎萬壽さん)

それから『手習子』の話ね。『鏡山』を教わってから2、3年後に、おじさんが高松宮殿下記念世界文化賞に、日本人の芸能人として初めて選ばれたんです。そしたら「あんたちょっと話があるんだけど」と。「まだ内緒だよ、寝物語に女房にも言っちゃダメだよ」って言われてね(笑)。

「受賞パーティーで何か歌舞伎をお見せしたいから、あんた『手習子』踊っておくれよ」とおっしゃる。いえいえ、ご子息の梅玉兄さんも魁春さんもいらっしゃるのに、って何度もご辞退したんですが、聞き入れてくださらない。

真夏の暑いさなかにお宅に伺うと、いつも麻雀をやるお部屋のソファーがどかしてあって、「じゃあやってごらん」って言われました。成駒屋のおじさんはクーラーがお嫌いで、扇風機もダメなんですよ。

汗だくになって踊って、では小道具も一応見てください、って出したら、「じゃあそれ持ってもう一回おやり」(笑)。傘さして踊ったら、天井のシャンデリアにガチャンとぶつけたりしてね。

「これは子供の踊りなんだから。袂が重いんだよ、うまく踊らなくていいから、よちよち踊るんだよ」って。

とにかくおじさんの教え方は深くて。たとえば『鳴神(なるかみ)』の雲の絶間姫では、滝に掛けられた注連縄(しめなわ)を姫が懐剣で切ると、そこに封じこめられていた竜が出てきます。

それをじっと見上げて、竜が去ったのを見届けてから逃げ去ろうとしたら、「何見てんだい? まさか竜見てんじゃないだろうね」と言われて。

「あれは鳴神上人にしか見えないものなんだよ。注連縄切ったらすぐ大雨になるから、懐剣しまってそのまま逃げるんだよ」って。私たちにはちょっと思いつかないことです。

ですから私が『鏡山』の尾上でおじさんに何となく認められたことが、第2の転機と言えるでしょうね。