筆者の関容子さん(左)と

名を汚さぬよう43年間つとめて

第3の転機は何と言っても今回の三代襲名だと思われる。時蔵さんが名乗る初代萬壽はご自身で考案なさったとか。

――はい、時蔵の家にはあまり名前(芸名)がなくて、歌六と時蔵しかなかった。他に米吉とか種太郎とか梅枝とかの幼名は結構あるんですが、獅童というのも祖父三代目時蔵の俳名ですからね。

叔父の萬屋錦之介は、本名が錦一でそこから作って錦之介だし、もう一人の叔父、中村嘉葎雄も最初は本名の賀津雄のままでした。それで私の弟の信二郎(現・中村錦之助)も、その息子の隼人も本名。又五郎の幼名・光輝も本名でしたからね。

萬壽の名は自分で考えました。これ、平安時代の元号なんですよ。万寿元年というのが実は甲子(きのえね)なんですよ。つまりいの一番じゃないですか。初代萬壽で一からスタートするのにちょうどふさわしいかなと思いましてね。

私も43年間、時蔵という名前を汚さないようにつとめてきて、近頃、息子もずいぶん良くなってきて……あいつ、教えてもないのに結構ちゃんとつとめるんですよね。それでいつまでも梅枝じゃおかしいかな、と思って、孫の初舞台と一緒に譲ることを思い立ちました。

萬屋だから萬の字を使って萬壽。これは将来的に私の次男の萬太郎が継いでもいいし、または倅の時蔵がいつか萬壽になってもいい、と考えたわけなんですよね。

『妹背山』お三輪の歌う「千秋萬歳の……」萬屋ご一門の弥栄(いやさか)を念じています。