(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第30回は歌舞伎役者の中村萬壽さん。五代目中村時蔵として歩んだ43年を振り返るとともに、三代襲名への思いを伺った。。

6歳で父と死別して

当たり役は数多く挙げられるが、『鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』の品良く、寂しげで、凜とした中老尾上。また、『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の、叶わぬ恋に身を焦がす町娘のお三輪もいい。でも『義経千本桜』「鮓屋」の弥助実ハ平維盛も雅びやかでいいな。

この当代切っての立女形(たておやま)、五代目時蔵さんがその名を長男の梅枝(ばいし)さんに譲り、自身は初代萬壽を名乗った。そして梅枝さんは名前を長男大晴(ひろはる)君に継がせ、晴れの初舞台を踏ませた。

彼の三代襲名披露興行が6月現在、歌舞伎座で華やかに繰り広げられている。こういう慶事に立ち会うことこそ、歌舞伎を観る醍醐味だ。

――倅の梅枝もだいぶ育ってきたので、これから若い役は回してやりたいな、とも思うし、また祖父(三代目時蔵)の代から時蔵の家は立役も多くやってますんで、それこそ「鮓屋」の維盛とか『妹背山』の久我之助とか、今年の1月には『芦屋道満大内鏡(あしやどうまんおおうちかがみ)』の狐葛の葉を倅がつとめて、私はその夫役の保名に回りました。

葛の葉が4枚の障子に別れの歌を筆で書きますよね。「恋しくばたずね来てみよ……」という。

倅は子供のころ、お習字が好きじゃなかったんで、私が教えました。家の壁にビニールシートを貼って……墨が垂れてもいいようにね。そこに畳1枚分くらいの半紙を貼りつけて、さあ、やってごらん、と。

それをしながら、ああ、うちに父親がいるってことは、こんなにも便利なことなんだな(笑)、と思いました。私が父親(四代目時蔵)と死別して後ろ盾を失ったのは、6歳の時でしたからね。