赤松良子さんと樋口恵子さん
「赤松さん(左)は3歳上の先輩。忌憚のない意見から冗談まで交わし合う仲でした」(写真提供◎樋口さん)

赤松さんの第一印象は、「小さな体で、なんと威勢がいいのだろう」。私より3歳上で、大学の先輩でもあるので、「元気な後輩が入ってきた、しめしめ」と思ったのでしょうか(笑)。なにかにつけ「おい、ヒグチ」。「この問題に取り組みなさい」「あのテーマで論文を書きなさい」とあれこれ指示が飛んでくる。

ときには、忙しさにかまけて髪がぼうぼうの私に、「ヒグチ、その頭なんとかしてきなさい」。赤松さんはおしゃれで、どんなに忙しくても髪をきれいにセットしていました。

私は、「あれまぁ、ずいぶん命令口調だこと」などと思いつつ、声をかけてもらうのが心底うれしかったのです。赤松さんの圧倒的な信念と人間的な魅力に心惹かれました。一緒に目的を成し遂げたいと思わせてくれる人でしたから。

おかげで婦人問題懇話会の会報にさまざまな原稿を書く機会を得ましたし、シンポジウムのパネリストもさせてもらいました。私は学者のような専門性には乏しいけれど、雑誌の仕事をしていてフィールドが広かったからか、いろいろなテーマをポンと投げかけられました。

それが私を鍛え、評論家としての道筋を作ってくれた。ですから私は婦人問題懇話会を、「私の大学院」と呼んでいます。

ところで〈赤松〉は、赤松さんの生まれながらの姓です。大学の同級生の方と結婚する際、どちらの姓にするか、相手の方もこだわらなかったそう。「では、じゃんけんで決めよう」と赤松さんが提案したというのでびっくりです。

するとパートナーが「もし自分がじゃんけんに勝ったら、世間と同じになるからつまらない。自分のほうが変えよう」と言い、赤松さんの姓を名乗ることになったとか。

それを聞いてさらに驚きました。当時は結婚すると夫の姓を名乗る人がほとんど。かく言う私もなんの疑念も抱かず、結婚で姓が樋口になりました。

でも赤松さんはお若いときから、意識が違っていた。おそらく、生きている間に選択的夫婦別姓が実現しなかったことに対しては、内心もどかしく残念な思いだったはずです。

後編につづく