急に胸に熱い感情が込み上げてきてハルは思わず視線を百合川からそらした。すっかり油断しているところに、そんな言葉を投げかけてくるなんて。ハルの脳裏に真っ先に浮かんだのは、妹の小鈴と母のことだった。結局、あたしは、なにもできなかった。自分ひとり逃げだしてきてしまった――。
 涙が落ちそうだったので、ハルは精一杯笑顔をつくって、すてきですね、といった。
「シンプルなことだよ。だれか大切なひとに届いてほしいと思って書くこと。それだけでいいんだ」
 百合川はまた微笑んだ。
 今度は、ハルはなにも答えずにうなずく。
 柳川(やなぎがわ)にかかる大和橋(やまとばし)の手前まできたところで、ハルは気になっていたことを言葉にした。
「どうして、三年前、あの講演会のとき、あたしに声をかけたんですか。あの場所には、ほかにもたくさんひとがいたでしょう。だいたい、講師ってわけでもなかったし……」
「あくびだよ」
 立ち止まってそういうと百合川は、少し意地の悪い笑みを浮かべた。
 仕立てのいい洋服を着た男性をのせた人力車が、橋の向こうからやってきて、駅の方角に走り去った。