地方分権「七人の侍」の生き残りとして
この5月に誕生日を迎え、92歳になりました。まさに人生100年時代を驀進中。いやはや、こんなに長く生きるとは想像もしていませんでした。
92年も生きていると、経験したことの総量はかなりのもの。そのほとんどは、記憶の玉手箱にしまい込まれており、普段はほぼ忘れています。でもちょっとしたきっかけで記憶が引っ張り出され、「あぁ、そういえばこんなこともあった」と、懐かしい気持ちになることも。最近も、そんな経験がありました。
昨年末、琉球放送という沖縄のテレビ・ラジオ局からインタビューの依頼がありました。『RBCスペシャル 揺らぐ地方自治〜辺野古移設が問うもの〜』という番組の中で、発言を求められたのです。アメリカ軍普天間基地の辺野古への移転問題では、県と国が対立を続けています。県が「不承認」とした地盤改良工事変更に関して、国は昨年12月28日、県に代わって承認する「代執行」を行使。国が地方自治体の事務を代執行するのは初めてのことで、異例の事態とも言えます。地方自治権が国から奪われる現状を問うべく、この番組が作られたのでしょう。
なぜ私に白羽の矢が立ったかというと、1995年から2001年まで、内閣総理大臣の諮問機関、地方分権推進委員会で委員を務めていたからです。99年には委員会の勧告に従って地方分権一括法が制定され、自治体の権限を拡大する改革につながりました。
当時の自民党は、今よりも心が広かったと思います。私のような人間や、革新系で神奈川県知事を務めた長洲一二さんなども諮問委員としてお声がかかったのですから。7人の委員のうち、私は唯一の女性。当時はそのメンバーを、「七人の侍」などと言う人もいました。その「七人の侍」のうち、今も生きているのは私だけです。
そういった背景があって、当時の国の方針や委員会の活動成果などについて、私がお話しすることになったのです。