10種類に及ぶ「構囲」の記号
さて、戦前の塀に関連する記号にあたる「構囲」は種類が異常に多かった。種類が最も多かった「明治42年図式」では10種類に及ぶ。
このうち性格が異なる「土囲」を除く九種を挙げれば、(1)かん工牆(かんは、つちへんに完)、(2)木柱お牆(もくちゅうおしょう、「お」はUnicode U+572Cで表される中国語の簡体字)、(3)板牆、(4)竹垣、(5)鉄柵、(6)木柵、(7)埒、(8)生籬、(9)壘石囲という、ほとんどマニアック的というべき細かい分類がなされていたのである。
見慣れぬ用語が並んでいるので順に説明すると、(1)のかん工牆は石や煉瓦、コンクリートでできた塀だ。かつては「かん工」にコンクリートとルビを振られることも多かった。
(2)の木柱お牆は要するに築地塀で、木の柱の間を漆喰や土で塗り込めたものである。上部は瓦葺きが定番だ。おという字は「壁などを塗る鏝(コテ)」を意味し、旁(つくり)は鏝の象形という。
(3)の板牆は板塀で、この「明治42年図式」の解説書である『地形図之読方』によれば、木の板だけでなく「亜鉛板牆モ之ヲ以テ示」したようだ。要するにトタン塀である。
塀関連の記号は「大正6年図式」から徐々に整理統合されていくが、記号の形状としては最後まで「へい」として生き残ったのがこれである。
(4)の竹垣はその通りであるが、『地形図之読方』には「建仁寺(けんにんじ)垣、朝鮮矢来(やらい)ノ類ヲ謂フ」と説明が添えられていた。
建仁寺垣は京都・東山の臨済宗建仁寺派の大本山建仁寺で最初に使われたことに由来するが、四つ割りの竹を隙間なく並べて棕櫚(しゅろ)縄で結んだものである。
朝鮮矢来は手元の『広辞苑(第三版)』によれば「掘立柱を適当な間隔に建て、これに木または竹を横に打ち付け、割竹を縦に結いつけたもの」とある。
いずれにせよ作るのに手間がかかるようだし、近頃はあまり見かけない。
童謡「たきび」で唄われた「垣根」は東京都中野区上高田に今も健在で見に行ったこともあるが、これも建仁寺垣だろう。
そういえば拙宅の近所にはそれに似せたプラスチック製の塀を繞(めぐ)らした家があった。