市街地の地形図に手間をかけた理由
さて、(9)の壘石囲は滅多に目にしない字面だ。大正時代でも一般的ではなかったようで、『地形図之読方』でも詳しい説明がある。
曰く「粗石ヲ規正ナル形ニ堆積シテ構囲ヲ成形スルモノヲ謂フ。但シ灰砂ヲ以テ粗石ヲ膠着シ、高ク積テ牆ヲ成スモノノ如キハかん工牆ニ依リテ示ス」そうだ。
要するに石をきちんと積んだ囲いだが、漆喰やセメントなど目地で固めたものは(1)のかん工牆の記号で示す。
そもそも明治の頃は当然ながら空中写真の撮影ができないから、現地調査はひたすら歩いて状況を観察するしかなかった。
1枚の地形図を作るにあたってこの手間のかけ方はまさに鬼気迫るが、なぜそれほどまでして市街地の状況を詳細に把握したのだろうか。
これは地形図を作っていた陸地測量部が陸軍の組織であり、軍事行動の役に立つことを重視したからだと考えられる。
戦時中に同部に所属したあるOBの方からいただいた作図マニュアル『地形図図式詳解』がヒントになった。
これには「砕部[細部=引用者注]ノ軍事上ニ於ケル価値」とする章が設けられており、「居住地ノ戦術上ニ於ケル価値ハ概ネ森林ニ同シキモ石或ハ煉瓦等ノ家屋、構囲、高層建築物及広キ空地等ハ戦闘ノ為屡々(しばしば)利用セラルルコトアリ」と記してあり、市街戦などが生じた場合に重要となる「隠れ場所」をわかりやすく表示し、その場所の景色を適切に描いた地形図の重要性を説いている。
さらに各記号の描き方を細かく規定した中で、「構囲」の記号の使い方は「遮蔽障碍ノ景況ヲ現ハシ、且用図目標ノ為要用ナルモノヲ示スモノ」であり、縮尺によっては全部まるごと描けば煩雑になるばかりなので、「図観ヲ煩雑ニスルノ虞(おそれ)アルトキハ適宜之ヲ省クヘシ」とし、さらにその基準として一万分の一地形図では「かん工牆・牆」は長さが図上3ミリ以上(2万5千分の1も同じ)、柵や土囲については高さ1メートル以上(2万5千分の1では2メートル以上)などと実に細かく規定していた。
要するに図を見れば、たちどころに現代のグーグルのストリートビューが脳内に立ち上がるかのように記号を運用せよ、というのが地図製作者に対する高度な課題だったのである。
それでも、これだけ精密に市街地を描いてくれたおかげで、私たちは100年以上も前の町の風景を、横町の隅々まで詳細に再現できる幸運を味わうことができている。
ただし、読む方も記号とその運用についてちゃんと勉強していればという話だが。
塀の記号の廃止は地形図図式の簡素化の一例に過ぎないが、パソコンで現地のものが何でも見られる今、「景色」をあえて記号化する必然性が薄れてきたのは間違いない。
※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)
学校で習って、誰もが親しんでいる地図記号。地図記号からは、明治から令和に至る日本社会の変貌が読み取れるのだ。中学生の頃から地形図に親しんできた地図研究家が、地図記号の奥深い世界を紹介する。