すべて、相方がいてくれたおかげ

リンゴ 36歳から不妊治療を始めた頃、子どもの話で盛り上がっているところに私が入ると、皆が気を遣って黙ってしまうことがよくあって。その時、モモコが普通に接してくれたのは本当に嬉しかったわ。

モモコ 後輩が「妊娠したのをリンゴさんに報告したいんですけど」と相談してきたこともあった。「普通に言ったら? 気を遣われるほうがイヤだと思う」と言った。

リンゴ 42歳の時にしばらく仕事を休んで不妊治療に専念したいと相談したら、モモコは「気の済むまでやってきて!」と言ってくれたね。

モモコ 神様、リンゴに子どもをお願い! っていう気持ちで。1人目の時は無邪気に「できたー!」って言うてたけど、2人目ができた時は、正直「先にごめん」とも感じてた。だから「リンゴはやれることを全部、納得するまでやったらいい」と。

リンゴ 休むというのは大きな決断だったけど、「ここで気を遣ったら後悔する」と思って。わがままを言わせてもらったことは、本当に感謝しています。その代わり、モモコが産休の間は私がカバーしてきたつもり。「ここは私が頑張る番」と思ったから。

モモコ 出産で3回休んだけど、全然不安はなかったもん。

リンゴ 休業前は1人のレギュラー番組もいただいていましたが、休んだのをきっかけに降板しました。でも「ハイヒール」と名前がついてるレギュラー番組が残ったのは、すべて相方がいてくれたおかげ。

モモコ 40歳前後が人生で一番働いてたんちゃうかな。休んでる間に数字(視聴率)が悪なって番組が終わってしまったら、リンゴの帰ってくる場所がなくなってしまう。それに私も家を新築して、3人目も生まれたばっかりやったし、必死でした。だから今は手を抜いてます。(笑)

リンゴ 手、抜いてるんかーい!

モモコ うそ、うそ。あえて口には出さなくても、「お互い様」の気持ちで支え合ってきた。私も、メニエール病で体調を崩した時はつらかったし。

リンゴ 気丈なモモコが「迷惑をかけるから、漫才やめたい」と言い出した時はさすがの私も動揺したわ。

モモコ 若い時に発症したのが40歳を過ぎてから再発。前よりずっと症状が激しくて、スタジオで座っていられる仕事はいいけど、立ってしゃべる漫才がきつかった。「めまいが出たら腕を持たせて」とお願いしたけど、実際に持つと、今度はリンゴが集中できない。もうやめるしかないと思い詰めたら、リンゴが……。

リンゴ 「やめるのはやめよう。いったん休憩!」って。「解散」とか「漫才をしない」とかじゃなくて、あくまで「休憩」。

モモコ お医者さんに「治るまで最低2年はかかる」と言われて「2年も!」と思ったけど、結局10年かかった。今の病院と薬が合ったのか、症状は治まって。漫才も復活できた。

リンゴ 休憩の間、コンビである意義を考えましたね。以前、今の社長から言われたのを覚えてる? 「関西には上沼恵美子という天才がいる。お前らが唯一勝てるのは、コンビだということだけや!」と。年を重ねるにつれてコンビという形が重たくなるのも確か。バラバラで仕事をする間にコンビが形骸化してしまう人たちもいる。そこをあえてコンビでの仕事にこだわって、「ハイヒール」を作ってきた。

モモコ 別々の仕事の場でも、リンゴは私の話をするし、私も必ず「リンゴがね」と話題にするしね。