石垣島に移住後、娘の営むカフェレストランでジャズを演奏する悌子さん夫妻(写真提供◎悌子さん)

止まっていた時計が動き出した

私たちの仕事は夜も遅いし、夫は子どもたちと接する時間が少ないのが寂しかったんでしょうね。夏は毎年1ヵ月間、子ども2人を連れて石垣島へ行き、自給自足のキャンプ生活を送っていました。

石垣島に魅せられた娘は、21歳の時に車に荷物を積んでポンと移住し、1年後にカフェレストランをオープン。私たち夫婦も両親を見送った後、石垣島に移住することにしました。そして毎週水曜日の夜、娘の店でライブをするようになったんです。

それから5年くらい経った頃、夫の体調が悪くなり――那覇の病院に入院し、末期の肝臓がんだとわかりました。若い頃に鼻の手術をした際、輸血によってB型肝炎ウイルスのキャリアになっていたようです。

医師からの電話で、「石垣にお帰りになるんだったら急がないと、飛行機に乗れなくなりますよ」と言われ、すぐに迎えに行きました。島内の病院に入院したものの、あっという間に逝ってしまった。私が59歳の時です。

それ以来、私は音楽を一切、受けつけなくなりました。ラジオから音楽が聞こえてきただけで、夫を思い出してつらくなり、スイッチを切ってしまう。まさに火が消えたような日々を送っていました。