岡崎京子の生い立ち

東京オリンピックを目前に控えた1963年、岡崎京子は東京の世田谷区下北沢に理髪店「ハナビシ」の長女として生まれた。自宅の理髪店にあるマンガや雑誌を読んで育ち、小学校時代にはすでにひと通りのマンガを読破していたという。

小学校5年生の時に、友達の家で読んだ萩尾望都の『ポーの一族』に衝撃を受け、マンガ家を志す。

『小泉今日子と岡崎京子』(著:米澤泉/幻冬舎)

萩尾望都と言えば少女マンガ史に燦然(さんぜん)と輝く大家だが、『ポーの一族』は中でも永遠に生きる吸血鬼一族の物語を描いたファンタジーであり、当時の少女マンガとしては異色の作品であった。少女マンガの王道ではない作品に岡崎が強く惹かれたのは特筆すべき事柄であろう。

中学入学と同時に、マンガ少女だった岡崎京子は音楽に目覚める。今度は、お小遣いのほとんどをレコード代に費やすロック少女となるのだ。

当初はクイーンやベイ・シティ・ローラーズ、エアロスミスなどを聴いていたが、しだいにパンクやニューウェーブに音楽の趣味が移っていく。中学3年生のことだった。

マンガもそれまでの少女マンガから高野文子やひさうちみちおなど、既存のジャンルにとらわれないニューウェーブ系を好むようになる。

高校1年の夏には、白泉社の『花とゆめ』のマンガスクールに16ページの作品を投稿するが、結果はCクラスだった。

もし、そのまま順調に『花とゆめ』で少女マンガ家としてデビューしていたらどうなっていただろうか。一連の岡崎京子作品は生まれていなかったかもしれない。少なくとも現在のような評価を得ることはなかったのではないか。