雑誌『ポンプ』に投稿を始める

自身が愛読してきた少女マンガの世界から外れてしまった岡崎京子は、翌年から雑誌『ポンプ』に投稿を開始する。

『ポンプ』とは現代新社(後に洋泉社に社名変更)から発行されていた読者投稿誌であった。すべてが読者からの投稿で成り立っていた『ポンプ』はインターネットの先駆けとも言われ、後に有名になった投稿者として、岡崎京子を筆頭に尾崎豊、デーモン小暮などが名を連ねている。

(写真提供:Photo AC)

この『ポンプ』へのまめな投稿が結果的に岡崎京子の新たな道を切り開くことになるのだ。『ポンプ』の投稿イラストがやがて中森明夫の『東京おとなクラブ』や大塚英志の『漫画ブリッコ』での連載へとつながっていく。

1982年には高校を卒業し、短大でデザインを学び始める。短大入学とともに髪を切り、毎日違う服装で通学する岡崎京子。流行のファッションを身に纏った彼女は、新宿ツバキハウス火曜日のDJ大貫憲章による「ロンドンナイト」にも毎週通うようになる。

80年代前半のツバキハウスは日本で最もロックでオシャレなディスコとして名を馳せていた。とりわけ「ロンドンナイト」は洋楽のロックを日本に広めた最高にクールなイベントとして、今でも伝説的に語り継がれている。

80年代前半、私は毎週のように『ツバキハウス』に足繁く通ってた。火曜日にやっていたロンドンナイトの日はパンクの人やギンギンにニューウエイブな人や、とにかくスットンキョウな格好をした人が束になって集まっててホント面白かった。今のディスコやクラブみたいなナンパーさはまったくない。もろ体育会系。根性入れて踊らんかい! って感じ。基本的に当時のディスコはフリーフードだったから、食べれて飲めて時間つぶせて遊べて、貧乏な人にとっては夢のような空間でした。
(『CREA』1994年4月号)

この岡崎の「ロンドンナイト」体験は、後の『東京ガールズブラボー』をはじめとする作品にも活かされた。とりわけ彼女のファッションと音楽への並々ならぬ情熱はその後の岡崎作品の通奏低音を成していると言えるだろう。