街と地続きの少女マンガ
少女マンガを研究する藤本由香里は、「岡崎京子は『街と地続きの少女マンガ』を描いた初めての作家なのではないかと思う」(「岡崎京子以後」アエラムック『ニッポンのマンガ』所収)と指摘している。
「少女マンガ」というのは、少女の「内面」を描くものだとされるが、その分、内へ内へとこもるところがある。とくに作品が「少女マンガ誌」に掲載されている場合はそうで、そこはかなり「現実」からは隔離された場だ(だからこそ自由だ、ともいえるが)。
だが岡崎京子は、大島弓子を代表とする繊細な「少女マンガ」に出自を持つ一方で、その後「ニューウェーブ」に影響を受けたその作風から、デビュー当時、「少女マンガ誌」の中にその居場所を確保することができず、サブカルエロ漫画誌「漫画ブリッコ」などを皮切りに、やがてマガジンハウスや宝島系の雑誌に作品を掲載するようになる。
(藤本由香里「街の時計・時代の時計」『「岡崎京子 戦場のガールズ・ライフ」展』Web ACROSS)
藤本が言うように、少女マンガというものは、時に少女の内面を描くことを優先するがゆえに現実の世界をそれほど重視しない傾向にあった。
例えばそれは登場人物が纏うファッションに顕著に表われていた。かつての少女マンガは流行のファッションをそれほど反映していなかった。それは宝塚歌劇団の舞台と同じであり、夢や憧れの世界に流行という現実は必要なかったからである。
だからこそ、少女の「内面」を描きながらも、流行のファッションを身に纏い、街を闊歩する現実の少女の姿を鮮やかに捉えた岡崎京子は、「街と地続きの少女マンガ」を描いた初めての作家なのである。
そして、「街と地続きの少女マンガ」を描くには、ロンドンナイトのような自らの体験に裏打ちされたファッションセンス、モード性というものが必要不可欠なのだった。
※本稿は、『小泉今日子と岡崎京子』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。
『小泉今日子と岡崎京子』(著:米澤泉/幻冬舎)
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