一九三三年、日本統治下の台湾。ある事件により東京の雑誌社をクビになった記者・濱田ハルは、台中名家のお嬢様・百合川琴音のさそいに日本を飛び出し、台湾女性による台湾女性のための文芸誌『黒猫』編集部に転がり込んだ。記事執筆のため台中の町を駈けまわるハルが目にしたものとは――。モダンガールたちが台湾の光と影を描き出す連作小説!

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  五 中編

 教科書を卵の籠の上に置いて、ぽつりぽつりと話しはじめたシャオリンの言葉を玉蘭が通訳してくれた。
 シャオリンの日本語は、ところどころまちがいはあっても、もう十分に通じるものだった。でも、複雑な説明にはまだ台湾語のほうがいいらしい。ハルは編集部から持ってきたノートにメモを取りながら玉蘭の言葉を追う。
 シャオリンは、もともとは台中ではなくて、新竹の郊外に住んでいたらしい。現在の年齢は十三歳。公学校教師の父と、農業の手伝いをする母と姉、シャオリン、そして生まれたばかりの弟というごく普通の家庭だった。特に貧しくもなく、かといってお金持ちというわけでもない。父が教師で、「国語常用家庭」だったから、シャオリンは日本人の子どもたちがいく小学校に通うことができた。
 玉蘭はそこまで話すと、いったん少女の言葉を止めた。
「国語常用家庭っていうのはね、家のなかで日本語を使い、神棚を祀り、日本人と同じように生活する家のことね。ハルはまだたぶん知らないと思うけど、台湾では、台湾人の子どもが進学する公学校と、日本人とごく一部の台湾人のお金持ちの子どもが進学する小学校に分かれてて、小学校のほうが教育内容でもその後の進学でもずっと有利なの。ちなみにわたしも小姐も公学校出身ね。小姐はたぶん小学校にもいけたはずなんだけど、日本人にいじめられるのはごめんだからって、わざわざわたしと同じ公学校にいったの」
 ハルが、ごめん、知らなかった、というと、玉蘭はゆっくりとうなずいて、また少女の話に耳を傾ける。