あの笑顔を手がかりに書きはじめればいいんだ!
 もう、夜眠っている場合ではなかった。
 卵焼きつくったから食べてね、と心配そうな顔をして部屋をでていく玉蘭の背中を見送ってから、ライティングデスクに向かってひたすら書き続け、外が明るくなるころには、ハルは自分でも文句なしと思える原稿を書き上げていた。それは、かつて内地にいたころ、家庭欄で記事を書いていたときには感じたことのない満足感だった。
 記事の冒頭は、市場での少女との邂逅からはじまるのだが、場所と少女が特定されないようにわざわざ海辺の市場の描写を盛りこみ、少女が販売している商品を剝き牡蠣に変更した。まさか新竹まで足を延ばしたことが、こんなふうに役に立つとはハルは想像もしていなかった。
 記事を書いている間中、ハルの胸に渦巻いていたのは、幼いシャオリンが置かれている状況に対する強い怒りだった。内地で婚家から逃れることができないでいる妹への思いと市場のシャオリンへの思いは何回も交差した。
 しかし、同時にハルにとってまったくはじめてだったのは、自分もまたシャオリンの父を奪っていった統治者側の人間だという独特の居心地の悪さだった。内地にいるときにはほとんど意識しなかった日本人と台湾人という明白に不均衡な力関係の真っ只中にいるという発見は、驚きであると同時に恐怖にも似た感覚だった。
 自分の記事が、社会的な不正義に目を向けさせたり、あるいはまったく逆に目をそらさせたりすることもある――。そこまで考えて、ハルは、慎重に慎重に描写に使う言葉を選んだ。