ハルが記事を書き上げてから三週間後の月曜日、『黒猫』第七号はぶじ発行された。
 台北のめぼしい書店はもちろん、台中でも櫻橋通りの中央書局(ちゅうおうしょきょく)から、緑川(みどりがわ)沿いの漢文書専門店の店頭にまで並んだ。
 台湾の女学生をモデルにして橘京也が描いた表紙画も話題になり、呉波子の繊細な挿絵の評判も上々だった。
「海辺の街の少女」と題されたハルの記事も注目を集めた。編集部には、自分もまた幼いころから苦労してきたという感想や、媳婦仔が時代遅れであると論じる女学生からの長い投書、少女への義援金の入った匿名の封筒まで届いた。
 百合川の手による記者の紹介文が、「当地の専門学校にて家政学を学びし内地人の美崎瑠璃子(みさき・るりこ)」となっていたことから、台北の大稲埕に集まる文化人たちが、その学校名や記者の身元を噂していたと、ハルは台北出張から帰ってきた劉にきいた。口では気にするなといいつつも百合川は、書き手の素性を明かさないようにそれなりに配慮したようだ。
 そのどこか高貴な響きの筆名は、なるべく思い入れが強い名前がいい、という百合川の言葉にしたがって、ハルの女学校時代の密かな憧れであった美崎先輩と、女子英学塾で一時期ちょっと特別な関係にあった加納(かのう)瑠璃子という財閥の一人娘の名前を組み合わせてつくった。もともと細かいことにはこだわらないハルは、深く考えずにその筆名を決めたが、あとで中央書局の雑誌棚に並んだ『黒猫』の表紙に自分の筆名を発見したとき、移り気な自分を表しているように思えて、急に恥ずかしくなった。 
 心配していたほどの事態にはならないようだ、とハルが胸をなで下ろしたのも束の間、夏の日差しに陰りが見えはじめた九月中旬、ちょっとした事件が起こった。

(続く)

この作品は一九三〇年代の台湾を舞台としたフィクションです。
実在の個人や団体とは一切関係ありません。