一九三三年、日本統治下の台湾。ある事件により東京の雑誌社をクビになった記者・濱田ハルは、台中名家のお嬢様・百合川琴音のさそいに日本を飛び出し、台湾女性による台湾女性のための文芸誌『黒猫』編集部に転がり込んだ。記事執筆のため台中の町を駈けまわるハルが目にしたものとは――。モダンガールたちが台湾の光と影を描き出す連作小説!

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五 後編

 編集部に戻るという玉蘭と別れてとぼとぼと大正町の家まで歩きながら、ハルはシャオリンの身の上話を頭のなかで繰り返していた。
 村の暮らし、公学校の教師だった父親、日本統治への不満を相談する村人たち、警察の横暴、父親の死。そして、媳婦仔という習慣。たぶん、あの中年の男が許婚(いいなずけ)なのだろう。父親のような年齢の男と、あと少し大きくなったら結婚しないといけないなんて!
 市場をでたあとも、玉蘭はハルに、シャオリンからきいたことを続けて説明してくれた。シャオリンの母は、生家が厳しくて学校に通うことが許されず、十八で結婚してようやく公学校に通うことができたのだという。自分と十以上歳の離れた子どもたちに交じって勉強し、途中からはお腹のなかにシャオリンの姉を抱えて、なんとか卒業した。だから、娘たちには幼いときからしっかりした教育を受けさせたくて、小学校に送った――。シャオリンが握りしめていた教科書には、そんな母から託された物語があったのだ。 
 いったい、どこから書けばいいのかまったくわからない。これまで知らなかったことばかり頭のなかに流れこんできたので、ハルはすっかり混乱していた。 
 こういうとき、いつもどうしていたかしら――。
 ハルがだれにともなくつぶやいたとき、露店で西瓜を売っている少年の弾けるような笑顔が目にとまった。その顔は、母の話になったときにシャオリンからこぼれた笑みときれいに重なった。シャオリンはときに目に怒りと悲しみを浮かべていたけれど、なにひとつ諦めてはいなかった。