ちなみに、この中には天童よしみさんもいて、その後、私が『魔法のマコちゃん』の主題歌をレコーディングしている隣のスタジオで、天童さんが『いなかっぺ大将』の主題歌をレコーディング中、なんていうこともありました。
「キャンディ キャンディ」のヒットが大きな転機に
アニソン歌手としての長いキャリアの中で大きな転機となったのはやはり『キャンディ キャンディ』との出会いです。実は、それまで私は“少女もの”の主題歌を歌ったことがあまりなく、少年もの、冒険もの、動物ものなどの歌がメイン。
『キャンディ キャンディ』の絵コンテを見せていただいたとき、「こんなにキラキラした少女ものを私が歌うんだ!」と、とっても嬉しかったんですよ。おまけに、この歌が100万枚以上も大ヒットしたことで、私の人生も大きく変わっていったのです。
それまでアニメソングと言えば、「しょせん、子どもの歌だろう」という程度の扱いで、一般的な歌謡曲よりもランクが下と思われていた時代でした。
私と同世代の麻丘めぐみさんや南沙織さんが立派なコンサートホールで歌っているときに、私が歌っていたのはデパートの屋上や遊園地のイベント会場。マイクの代わりに拡声器を渡されたり(笑)、バスガイドさんが使っている四角いマイクを持たされたり。
同じ歌手でありながら、なぜこんなに扱われ方が違うのだろう? そんな疑問で一杯でした。それでも決してヘコまずに、どんな環境に置かれても「何クソ!」という思いで、自分はきちんと歌うのだと常にベストを尽くしていました。
そんな過酷な状況だったのが、「キャンディ キャンディ」の大ヒットで一躍表舞台に立つことになりました。
100万枚という数字には実感が湧かなかったのですが、あるデパートのイベント会場で、10代、20代のお客さんたちがステージを何重にも取り巻いているのを見て、「こんなに大勢の人たちがみんな私のファンなの?」って、それはビックリしましたね。
その一方で、キャンディが私のライバルになってしまった。私がどんな歌を歌っても、「あの『キャンディ キャンディ』の」という枕詞が必ずついてしまうので、キャンディの存在を疎ましく感じてしまったり……。オリジナルソングを歌うステージでは『キャンディ キャンディ』は絶対に歌わない」と封印していた時期もあったほどです。
けれど、大阪の梅田駅構内で行われたイベントに出演していたときのこと。私がオリジナルソングを歌っても、誰も足を止めてはくれない。なのに、「キャンディ キャンディ」を歌ったら、大勢の人がどんどん集まってきてくれた。
そのときに、歌は聞いてくれる人に「いいね」と思われてなんぼのものなんだとわかった。それで、キャンディに「ごめんね」と謝って(笑)、親友として、今日までずっと一緒に歩いてきました。