何種類もの記号

さて、実際の工場にはさまざまな種類があり、戦前の地形図の図式では何種類もの記号が定められていた。

「明治33年図式」では工場を示す「製造所」の他に、造舩(船)所、鍛工所、鋳造所、磚瓦(せんが)製造窯及(および)陶磁器製造窯、石灰製造窯の5種類があり、さらに明治17年から関西で整備が進められた2万分の1の「仮製図式」ではこの他に火薬製造所、大砲製造所、小銃製造所の3種類を合わせた実に8種類が用いられていた。

『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

私もさすがにこの「仮製図式」の3種類はほとんど目にしたことがなく、今回の記事を書くにあたって初めて、大阪城の東側にあった砲兵工廠(こうしょう)に「大砲製造所」の記号を確認したほどである。

同工廠はもともと明治5年に陸軍省が発足した当時の「大砲製造所」がルーツである。その他の二つの記号はまだ拝んだことがない。

これら3種類がすぐに廃止されたのは防諜目的と考えられなくもないが、火薬製造所以外の二つについてはそれだけ表記する対象が少なかったのかもしれない。

あまりに登場頻度が少ない記号は誰にも覚えてもらえず、そうなると記号を定めた意味がないからだ。

一方で火薬製造所は官民含めて各地に多く、これも工場記号に統合されている。

陸軍の巨大な火薬工場であった東京の板橋火薬製造所(現板橋区加賀付近)を「明治42年図式」の1万分の1地形図で確認すると、工場の記号が広い敷地の中央付近に置かれていた。

歯車記号の傍らにはMのような形をした「陸軍所轄」の記号も添えられている。