記号も工場の歴史とともに変遷する

戦後初の図式である「昭和30年図式」では、以上説明したものがことごとく廃止されて「工場」の記号に統合されている。

ただし統合しすぎて正体をつかみにくいからか、「昭和35年加除式」では何を製造するのかをカッコ書きで(食品)や(化)と補う表記も用いられたが、次の「昭和40年図式」では消えてしまった。

それ以後の工場記号は「平成14年図式」によれば「地域の状況を考慮して好目標となるもの」に適用することになっており、もちろんすべてを網羅するものではないが、実際の地形図を見ると時代により適用の基準に揺れはあるようだ。

敷地が125メートル四方以上の大規模なものについてはその名称を「注記することができる」とあり、その場合は他の記号と同様に工場記号は表示しない。

「平成25年図式」では前述のように工場記号が廃止されたが、大規模な工場については従前通りに「JFEスチール製鉄所」とか「トヨタ自動車元町工場」のように注記で表示してある。

文字で工場の社名や種類を示すことは明治期から行われており、例えば製糸業が盛んだった長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)では、明治43年測図の5万分の1地形図「諏訪」に、煙突記号を伴った「製糸場」の文字がいくつも記されているし、同41年測図の2万分の1地形図「吹田(すいた)」には「麦酒会社」(現アサヒビール吹田工場)の文字も表示された。

中には現代語では意味が通じにくいものもある。

例えば明治・大正期の地形図では、現東京都北区の王子駅から西へ約1キロの滝野川に銃砲の起爆剤を製造する「雷汞(らいこう)場」、現荒川区南千住に毛織物工場の「製絨(せいじゅう)所」などの文字が表記された。記号も工場の歴史とともに変遷する。

※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。


地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

学校で習って、誰もが親しんでいる地図記号。地図記号からは、明治から令和に至る日本社会の変貌が読み取れるのだ。中学生の頃から地形図に親しんできた地図研究家が、地図記号の奥深い世界を紹介する。