戦国時代へ突入
だが鎌倉公方に心寄せる関東武士は多くおり、成氏は下総国古河(茨城県)に御所を定め、古河公方を名乗ってその後も上杉勢力と戦い続けた。
そこで室町幕府の八代将軍足利義政は、1457年に異母兄である足利政知を還俗(げんぞく)させ、翌年、正式に鎌倉公方として派遣したのである。しかし、成氏派の勢力が強く、政知は鎌倉へ入ることができず、伊豆の堀越を拠点とした。
こうして鎌倉公方は成氏の古河公方と政知の堀越公方に分裂、さらに関東管領上杉一族も山内上杉と扇谷(おうぎがやつ)上杉に分かれ、それぞれが離合を繰り返しながら抗争するようになり、関東は戦国時代に突入したのである。
この混乱を見た駿河・遠江(静岡県東・中部)の守護大名今川氏の重臣・伊勢新九郎(北条早雲)は、1493年、伊豆に乱入して堀越公方を滅ぼし、さらに小田原城を落として相模国へ進出、古河公方、両上杉氏と対立・和解しつつ、勢力を関東に伸ばしていく。
いずれにせよ、1454年に享徳の乱が始まり、関東の戦国時代が幕を開けたのである。
※本稿は、『逆転した日本史~聖徳太子、坂本竜馬、鎖国が教科書から消える~』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
『逆転した日本史~聖徳太子、坂本竜馬、鎖国が教科書から消える~』(著:河合敦/扶桑社)
あなたの知っている「歴史」はもう古いかも!?
教科書を切り口にした歴史の新説、教科書では紹介されない不都合な日本史……。
高校歴史教師歴27年、「世界一受けたい授業」でもおなじみの河合敦先生が解説。