もう家に戻らないという父の決意

私は父のメモを自分の手帳に書き写しながら聞いた。

「冬靴って、雪が降ってから履くブーツのこと?」

「あぁ、そうだ。おまえが買ってくれたんじゃなかったか?」

「そうだよ。まだほかの物もありそうだから、一度家に取りに行かない?」

面談室は窓が広い。父は遠くの空を見ながらボソッと言った。

「もう住まないのだから……行かない」

イメージ(写真提供:Photo AC)

終の棲家を老人ホームに決めた以上、里心がつくことはしたくない。私にはそういう決意に聞こえ、込み上げてくるものがあった。バッグからティシュを取り出して、鼻をかむふりをして目頭を押さえた。

現在67歳の私も10年か20年後には、それまでの生活と決別をする日がやってくる。元の生活を諦める辛さを乗り越え、老いを認めて毅然としている父の態度に、私は尊敬の念を抱いた。