紀貫之と和歌を詠み合う

大叔父にあたる藤原清正(きよただ)も、曽祖父の藤原兼輔(かねすけ)も、三十六歌仙(藤原公任が選んだ平安時代の和歌の名人36人)のひとり。兼輔の歌は「小倉百人一首」にも採録されています(27番)。

「みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ」 中納言兼輔(藤原兼輔)

みかの原から湧き出て流れる泉川の「いつみ」という言葉のように、いったいあなたをいつ見て、こんなに恋しいのだろうか、という意。一度も会ったことがないのに、相手に恋焦がれているという歌です。

この歌が、紫式部のひいおじいちゃんの作だったとは……。祖父の雅正(まさただ)も歌人として知られ、兼輔の屋敷(のちに紫式部も住んだ場所です)には、やはり三十六歌仙の紀貫之らが集い、和歌を詠み合っていたようです。

紫式部の曽祖父・兼輔の邸宅址とされる廬山寺
紫式部の曽祖父・兼輔の邸宅址とされる廬山寺。兼輔の屋敷には紀貫之ら、一流歌人が集ったという

ドラマでも、こうしたつながりを意識したのでしょうか。公任の妻(役名は敏子)が主宰する四条宮の学びの会で、まひろが紀貫之の有名な歌を題材に和歌を教えるシーンもありました。

「人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」 紀貫之

こちらも「小倉百人一首」の一首(35番)。人の心は、どうだかわからないけれど、昔なじみのこの土地(奈良)では、梅の花だけが、昔と同じ香りをただよわせています、といった意味です。