道長の曽祖父が歌に詠んだ小倉山
小倉山を詠んだ歌では、「小倉百人一首」(26番)の貞信公(ていしんこう)=藤原忠平(ただひら)のものが有名です。
「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」
美しい小倉山の紅葉よ。もしも人の心が分かるなら、もう一度天皇がお出ましになるまで、どうか散らずに待っていておくれ。そんな意味ですが、実はこの歌は、「紅葉は今が盛りです。今のうちに、行幸されてはいかがでしょうか」と、醍醐天皇に紅葉見物を勧めるためのものだったとか。
藤原忠平は、藤原氏全盛の礎を築いた人物で、道長の曽祖父にあたります。この頃から、紅葉の季節には、天皇の大堰川への行幸が行われていたようです。
貴族だけでなく、天皇もわざわざ足を運んだ紅葉の名所。今も昔も、嵐山や小倉山の景色には、人の心を打つものがあるということでしょう。
小倉山といえば、もうひとつ有名なものがあります。和菓子などに使われる「小倉あん」は、この小倉山が発祥の地だと言われているのです(ただし諸説あり)。
二尊院には「小倉餡発祥之地」という石碑も建っています。
そこに書かれた由来によると、日本で初めて小豆と砂糖であんが炊かれたのは、平安初期の820年のこと。小倉の里に住んでいた和三郎という菓子職人が、空海が809年に中国から持ち帰った小豆(大納言小豆)の種子を栽培し、嵯峨天皇から賜った砂糖を加えて煮つめ、天皇に献上したのが始まりだとか。当時、砂糖は貴重品だったので、甘いあんを食べることができたのは、皇族や上流貴族に限られたようです。
つまり、紫式部の時代には、小倉あんは存在したことになります。さて、一条天皇や中宮・彰子は小倉あんを召し上がったのでしょうか。